3
不滅の英雄アキレウス。
その死を悼む神と人との葬列は、実に十七日もの間、延々と途切れる事はなかったという。
ある者は彼の不死の体と強さを讃え、またある者は、その不在を嘆き。
一人の英雄が歩む最後の足跡(そくせき)を、多くの人々の声が飾った。
その間ずっと息子の遺体の傍に付き添い続けた母は、流れる涙を隠す事なく、さりとて泣き崩れる事もなく。
ただ誇らしげに、愛しげに棺を撫で続けるその姿に、多くの者が心打たれた。
――そして、十八日目。
空と海との境界線が曖昧になるほど、よく晴れたその日に、英雄の亡骸は天へと昇った。
海辺にたたずむ海の王女は、深海の色をした髪を、長く長く風にたなびかせ、運ばれてゆく棺を毅然と見守る。
その瞳から、悲嘆の色は消えない。
けれどそれ以上に、英雄として名を馳せた息子を誇るように、彼女は胸を張る。
無限に途切れぬさざなみを伴奏にして、乙女達の歌が、壮麗な葬列を彩った。
どんな宝石も、高価な衣も及ばぬ華麗さで。
見事な彫刻の施された棺が、多くの神と人の手で、火葬場へと委ねられる。
勇者の亡骸は炎に包まれ灰へと還り、その魂は光となって、永劫に人々の心を照らすだろう。
死した英雄は剣を握らず、もはや敵を打ち滅ぼす事もない。
けれど彼が残した勇気の火種は、やがて大きな篝火となり、必ずや奇跡をもたらすだろう。
一つの死は、やがて幾多の希望となり、再び大地に芽吹くだろう――。
至上の調べたるカリオペが、そのかいなを広げ、喉を震わせる。
天上の歌姫の名に恥じぬ歌声は、聴く者の魂までも洗い清めるかの如く、壮絶なまでの美しさで、大地に高らかに響き渡った。
彼を喪った痛みより、苦しみよりもなお強く、勇者の生涯を讃える歌声。
一つの時代を担った英雄が辿る最後の道行きを、その名に相応しく飾らんと。
涙ではなく万雷の拍手で、彼を空へと送ろうと。
哀悼と追憶とをにじませながら、旋律はどこまでも勇壮に響く。
長姉に続くする姉妹達の声もまた、豊かなハーモニーを奏で海を渡る。
それは神々でさえも魂を奪われる、奇跡の音律だった。
誰もがアキレウスの名を讃え、深い羨望を抱く。
これほどの音楽に見送られ逝くこと、それはこの世界で最高位の栄誉に他ならないと。
そして、それほどのものを与えられるに足る英雄の偉大さに、胸を打ち震わせる。
一際高々と木魂した和音に呼応するように、火の手が上がった。
赤々と燃える炎は、かつて不死と謳われた鋼の肉体に絡み付き、ゆっくりと、白い灰へと変えてゆく。
見守るテティスの頬に、ひと雫の涙が零れた。
けれど彼女は、嗚咽を漏らす事もなく、泣き伏す事もなく、凛として、その場に立ち続ける。
まるでそれが息子にできる、最後の手向けだとでもいうように。
嵐が通り過ぎた後の、凪いだ海のような瞳で、我が子の最後の勇姿を、その目にやきつけた。
一筋の白煙が、かつて勇者と呼ばれた若者の魂を、空へと運んでゆく。
……残されたのは一握の灰と、欠けた剣(つるぎ)。
その両方を、母たる王女は大切に胸に抱き締める。
愛してやまない息子はもういないのだという事実と、そして、例えそうであったとしても、己の愛情にはいささかの変わりもないのだと、それだけを確かめるように。
荘厳に響き渡る讃歌を聴きながら、彼女は微かに微笑んだ。
歌姫は歌う。
その英雄の偉大な所業を。
歌姫は歌う。
その英雄の悲しい最期を。
歌姫は歌う。
英雄に捧げる終焉のレクイエムを。
さあ、静かに眠れ……と。
かつて英雄であった、白い雪のような灰は、火神ヘパイストスの作った黄金の器に収められた。
そしてこの時、人々は思い知った。
彼らの崇めた勇者アキレウスは、最早この世のものではないのだと。
不死身の豪傑といえど、不死ではない。
その名を讃える歓呼も、いつか途絶えてしまうように。
響き渡る葬送曲が、やがて微かな波の狭間に消えてゆくように。
終わりのないものはこの世にはなく、英雄の命とてそれは同じ。
けれどそうやって、幾つもの命を積み重ねて、時代は移り変わってゆくのだ。
いつかまた新たな英雄を、歓呼をもって迎える為に。
5. Titis <完>